「ぼくのりりっくのぼうよみ」さんの辞職について。
港ヶ丘 空(みなとがおか そら)です。
中二病のような名前ですが、中二病ではないと思います。
いまさらながら、「ぼくのりりっくのぼうよみ」さん(以下「ぼくりり氏」)について、書いてみる。
先日、2019.1.22に公開された、音楽ジャーナリスト・柴那典さんの記事を読んだ。
日本社会を覆う「呪い」とは? ぼくりりが明かす活動終了の「真意」
https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59479
私自身は「ぼくのりりっくのぼうよみ」という「若い」アーティストの存在は知っていたものの、正直、積極的に「聴いてみよう」とは思えずにきていた。
「どうせ、若い子が、若いことを歌ってるんだろう」というようにしか思えていなかったからだ。大いなる偏見、先入観による食わず嫌いを、今は反省しています。
なにより、「ぼくのりりっくのぼうよみ」というアーティスト名が、(歳だけは重ねた)大人からすると、なんだかむずむずする名前だなあ、と思っていたわけです。
ぼうよみ?
なんでぜんぶひらがななん?
自分より若い人が、才能に満ち溢れているのを見るのが、(歳だけは重ねた)大人は、とてもいやなものです。恥ずかしい。
(歳だけは重ねた)大人は、いままで生きてきた人生の中で自分が体得してきた「コード」や「ルール」から逸脱した「ひっかかりがあるもの」を、「違和」として、受け入れられなくなってきてしまうのである。
そんな私は、ぼくりり氏のことを、最近よくある(まあ、ずいぶんと前からずっとあるわけですが)、いわゆる「炎上マーケティング」的に、過激なことを言って、挑発して客を集めるタイプのアーティストなのだろう、程度にしか、思えていなかったわけです。ひどい話、そして、勝手な話ですね。
そんな折、柴さんの記事を読むことができました。
柴さんの記事を読んで、この人(ぼくりり氏)は、至極真っ当なことを言っているな、と思えた。天才なのかもしれない、と思えた。そして、曲を聴いてみた。そして、この人は天才なんだ、と思った。(と同時に、だからこそ、この曲は(この人の曲は)、演奏が終わった後に「キャー!!!」と黄色い歓声をあげるようなトーン&マナーの曲ではないのだろう、とも思った。)
彼は、本気で怒っているんだろうな、と思った。
いい加減にしろよ、と。
謝罪会見、辞職会見…、
毎日のようにニュースから溢れてくる、気持ちのこもっていない形式的な言葉の数々。テンプレート表現の数々。
ふざけんな!
お前は本当は何を思ってんだよ!!!
彼の怒りが伝わってくる。
なぜ、アルバム収録曲の曲名に「辞職」という言葉を選んだのか?という柴さんの問いかけに対して、ぼくりり氏は、「それはつまり、ぼくりりの中の人にとっては、ぼくのりりっくのぼうよみっていうのがひとつの職業であるということを端的に示してるんです。」と回答している。
職業であって、外側の衣のようなものであって、「中の人」である彼本人(本名は知らない)は別にいるんだ、と。
記事の中で、ぼくりり氏は語る。
人との人の「間」、つまり「人間」というものが肥大化している世の中なんだ、と。
みんなが、人と人の間に生きる空気のような存在(人間)になっていて、人ではなくなってきているんだ、と。
<職業>に代表されるような社会的レッテルを顔に貼り付けて生きているだけで、自分の顔は、消えてしまっているんだ、と。
記事の中で、「エビデンスがない、ビジョンがない、曖昧な言説って呪いなんですよ。」と、彼は言う。
なんとなく。
ただぬるぬると進んでいく世の中。
「え、世の中って、そういうもんじゃね?」
という声がする。
呪いの声だ。
世の中、ぬめぬめしていて、
何が幸せなのかがよくわからない・・・。
それは、当たり前だが、じぶんで決めるものなのだ・・・。
では、俺はどう思ってるんだ?
お前は一体、本心では何を思ってるんだ?
彼は強いし、まさに天才だと思う。
自分で、ある意味での「敗北」を受け止めて、自分なりに自省して、自分の意志で軌道修正して、自分で前進している。
今後は「未定だ」と語る彼の今後が、とても楽しみだ。
そんな彼を見て「自分も頑張らねば」と思わせてくれる、というのは、
彼が天才であり、真のアーティストであることの証だと思う。
あらゆる批評や感想を無効化する力が、彼にはあると思う。
(歳だけは重ねた)大人達に、彼の楽曲を、思いきっりぶつけてみてほしいと思う。
彼の思いや音楽のパワーを理解するファン達だけではなくて、むしろ、彼のことを、内心、若干、苦々しく思っているような(歳だけは重ねた)大人達に、思いっきりぶつけてみてほしいと思う。
そういう意味で、「現代ビジネス」という(「大人」向け)媒体に掲載された柴さんの記事の価値はとても高いものであると思うし、こうして、彼の曲に向き合うきっかけをくれた柴さんに感謝したい。
彼が「辞職」を表明してしまったあとではあるわけだが、やっと、彼の曲を聴くことができた。
そういう意味では、ぼくりり氏の敗北は、日本のマーケティングの敗北なのかもしれない。